530662 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

アンティークな琥珀堂

アンティークな琥珀堂

マリーアントワネットの首飾り

http://www.coda21.net/eiga3mai/text_review/THE_AFFAIR_OF_THE_NECKLACE.htm#top 映画:「マリーアントワネットの首飾り」の解説ブログ ◎護身符から王族専有へ  中世ヨーロッパは、一面ではあいつぐ異民族の侵入、封建諸侯間の争い、ペストなどの疫病の大流行などがくり返される暗い時代であった。そういう社会にあってダイヤモンドが固く、打ち砕けないことから、ダイヤを身につけていれば、敵からも疫病からも身を守ることができると信じられ、ダイヤは剣や甲冑などにつけられ、一種の護身符として用いられた。  やがて封建諸侯が没落し王権が強化されると、ダイヤは宝石として、貴族・王侯の手中に集まり始めた。この護身符から宝石への転換を促がしたのは、一四世紀後半に生み出されたダイヤを八面体(テーブル・カット)や一二面体(ローゼンツ・カット)に研磨する技術の進歩であった。絶対王政の強化と、封建諸侯の宮廷貴族化が進むなかで、イギリス、フランス、スペインなどで、「宝石の着用は王侯貴族に限る」という法律が制定されているのである。エリザベス女王やルイ一四世の肖像画を見ると、ダイヤをはじめとする大量の宝石を身につけており、全身宝石だらけといってもよいくらいである。  一七世紀末、ベネツィアの宝石商ペルッジーはダイヤを五八面(のちに九八面)にカットすると虹色などの妖しい美しさを発することに気づいた。これがいわゆるブリリアン-カツトで、貴婦人たちは争ってこのカツトのダイヤを身につけるようになった。 ◎マリー=アントワネットのネックレス事件  フランス革命が始まった一七八九年一〇月、飢えに瀕したパリの市民がパンを求めて国王の住むベルサイユ宮殿に行進した際、ルイ一六世の妃マリー=アントワネットは、「パンが無いならなぜケーキを食べないのか」と言った話は有名である。国民の生活や政治には関心がなく、もっぱら化粧や髪型、装身具などに凝り、日々社交にあけくれていた彼女は、多くのダイヤモンドを身につけていた。彼女の評判を落とした事件の一つにネックレス事件というものがある。  ルイ一五世は二二個の大粒のダイヤをつなげた高価なネックレスを宝石業者に注文したが、完成前に死んだ。ルイ一六世もアントワネットも自分が注文したものではなかったので、この宝石の引取りを拒否した。ここに登場したのが詐欺師のマダム=ラモットで、彼女はマリー=アントワネットが、このネックレスを欲しがっていると嘘をいって、宝石商からネックレスを提出させ、イギリスに逃げて売り払った。当然のことながらマリー=アントワネットは代金の支払いを拒否したが、この事件は、宝石にうつつをぬかす王妃というイメージを国民に与え、後の彼女の処刑にも間接的に影響を与えたといわれている。 ◎南アフリカでのダイヤの発見とダイヤ王セシル=ローズ  南アフリカでの最初のダイヤの発見は、ボーア人(オランダ系移民)の少年がオレンジ川の川岸でキラキラ光る美しい石を見つけたことがきっかけであった。この石をもらいうけた行商人が鑑定してもらったところ、二一カラットもあるダイヤモンドであった。このダイヤの発見は一八六六年のことであったが、この噂はたちまち広がり、数千人の人びとがオレンジ川流域に殺到した。このダイヤモンド=ラッシュのなかで、各地に多くのダイヤモンド鉱が発見された。とりわけキンバリー鉱山では、青色の硬い岩石(キンバリー岩と呼ばれるようになった)のなかから大量のダイヤモンドが見つかったため、大勢の山師たちが群がり、ダイヤを求めて、地下深く、固い岩石を掘り進んだ。一九一四年の閉山までの約半世紀の間に、二〇〇〇万トンの土が掘り出され、直径五〇〇m、深さ三六五mという巨大な穴(ビッグ・ホール)が出現した。現在では掘りつくされ、廃鉱となり、穴には地下水がたまっているが、まるで湖水のようで、この穴は「人力が掘った世界最大の穴」であるといわれている。この穴はまさに人間の欲望のすざましさを見せつけているように思われる。  結核にかかり、病弱な一七歳の少年セシル=ローズが兄を頼って南アフリカにやって来たのは一八七〇年で、デ・ビアズというボーア人の農場のなかのダイヤモンド鉱区で働きはじめた。ダイヤ探しに行きづまったローズは、地下水に悩む鉱山所有者に蒸気ポンプを売り込むことを思いつき、これが当たって大もうけをした。その金でローズは次つぎにダイヤモンド鉱区を買収し、わずか一〇年間でキンバリー最大のダイヤモンド鉱山所有者となった。  ローズは一八八○年、ロンドンのユダヤ人財閥ロスチャイルドの融資をとりつけて、デ・ビアズ鉱業社を設立した。この財力をバックに彼は露骨な侵略政策を推進し、領有地に自分の名をつけたりした(ローデシア)。「アフリカのナポレオン」ともいわれた彼は、四九歳の若さで死んだ。生涯独身で相続人がいなかったので全財産は母校オクスフォード大学に遺贈された。  南アフリカでは、ダイヤモンド鉱山と金鉱山は主としてイギリス系資本に抑えられていた。ボーア戦争に敗れたボーア人は、イギリス人とともに原住黒人をきびしく搾取することによって豊かな生活を維持しようとして、悪名高い徹底した人種差別政策(アパルトヘイト)をとったのである。 ◎ダイヤモンドはどうして高価なのか  セシル=ローズが設立したデ・ビアズ社は、現在世界のダイヤモンドの三〇%を生産している。しかも一九二九年にデ・ビアズ社の社長になったドイツ系のオッペンハイマーはロスチャイルド財閥の支援を受けて、南アフリカばかりでなく、世界の金・非鉄金属、ウラン、貴金属生産を支配下に収める巨大な多国籍企業、オッペンハイマー財閥をつくりあげた。このオッペンハイマー財閥は、ロンドンの「ダイヤモンド・シンジケート」(中央販売機構)を通して世界のダイヤモンドの八○~九〇%を支配下においている。  このオッペンハイマー財閥は、まずアメリカで、若者たちに「婚約記念にダイヤモンドを贈る」という考え方を植えつけるため、一九三〇年代から一大PRを展開してこれに成功した。その後、同財閥は、一九六〇年代の日本の若者に同様のPR作戦を行った。この宣伝を担当したのは世界最大の広告会社J・ウォルター・トンプソン社であり、これまた見事に成功を収め、それ以前にダイヤの婚約指輪を贈った若者は五%にも満たなかったのに現在ではその割合は七〇%近くもなっているという。  こうしてデ・ビアズ社=オッペンハイマー財閥は、世界のダイヤの高価格を維持し、高利潤をあげているのである。もちろん物の価格は、その物の希少価値、生産に要する費用などによっても左右されるが、ダイヤの生産は安い賃金で長時間働かされているアフリカ黒人に担われていることを考えれば、生産に要する費用はそれほど高いものではなく、ダイヤの高価格の大きな要因は、デ・ビアズ社がつくりあげた、ダイヤモンド神話に踊らされて、ダイヤを購入する需要者の増大にあるといえよう。


© Rakuten Group, Inc.